アスニャンスタンプの日記

アスニャンラインスタンプの制作日記をメインに書いて行きたいとおもいます。

飼いネコとの別れの前夜

 


はてなインターネット文学賞
「記憶に残っている、あの日」

 

まず、↑のお題インターネット文学賞とか書かれると文章書くのが苦手な私が書いてよいものか・・・(誤字脱字などがあると思われますが勘弁して下さいませ~)

 

はてなブログと出会ってから、そろそろ半年になります。(全然更新できてない・・)

ブログを始めるきっかけは、その半年前から始めたlineスタンプの制作を日記にしてみようかなと思ったからです。

失敗した事を日記に書いていくと次からは、あまりミスしなくなったような気がします。(更新してないくせによく言うわ!)

さて、今回は記憶に残っている、あの日と言う事で私が家族で飼っていた猫の話をさせてもらいたいと思います。

20年以上前の話になりますが、妹が一匹の子猫を拾ってきました。その猫はダンボールの箱に閉じ込められていたそうで、推測ですが幼い子供達が子猫がかわいいあまりに保管しておこうとしたのではないかと思いました。私も幼い頃は猫が大好きで野良ネコをよく追っかけ回したものです。

かなり衰弱していたので、我が家で体力が回復するまで少しの間、面倒を見る事にしました。その2年後に妹は猫をもらってくるのですが、「引き取り手がいないから少しの間、面倒見ましょう」と言ってきたのです。(アレ?おかしぞ前にも同じような事があった気がする・・・)そうです!少しの間面倒を見る事は不可能なのです!

こうして我が家は2匹の猫を飼う事になったのですが、少しの間飼うという条件なので名前を決めるのに苦労しました。最初に拾ってきた猫はミーと名付け(ミーとは鳴かず、マッと鳴きます。)その後もらってきた猫はチビ(のちに巨漢になります。)と名付けました。

2匹ともメスで、チビは、まさに猫といった性格です。ミーは、

とても不思議な猫でした。

私はミーが拾われてきた当初は、浪人生で妹は高校生でしたのでミーの世話は長い間、家にいる私がしていました。最初にお風呂に入れた時、何十匹かのノミが飛び跳ねて背筋が凍る思いをしました。トイレは全く覚えてくれず、泣きながら教えた事を今も覚えています。本来、猫は目を合わせると目をそらすのですが、ミーはずっと見続けます。そして人の行動に関心があるのか、よく人の行動を観察している猫でした。(我が家ではストーカーと言われてました。)

辛い事や病気で苦しい時は必ず布団の中に入って来てくれる、やさしい猫でした。ですが、だっこは完全NGです・・・

生みの親が妹で、育ての親が私なのですが、妹ばかりに懐いてしまい、私はしつけを厳しくしたせいか嫌われていると思っていたのです。

 時が経ち私も結婚をしてミーといる時間が少なくなった頃、妹からミーの体調があまりよくない事を聞かされ見に行ってみると身体のバランスがとれず、ななめに歩いていました。ほんの少し目の上が腫れている気がしたので病院へ連れていくと脳腫瘍と言われ、もう手遅れだと告げられました。

ミーは、それでも必死に生きようとしていました。だから私も諦る事なんてできなかった。必死に食べて、必死に自分で歩き、必死に眠っていました。

 

2014年12月15日、年末で仕事が残業続きだった私は、夜遅くにミーに会いに行く事が多くなっていました。この日は何故か仕事を普段よりも早く終わらせることができ、夜の7時頃には実家に着けそうでした。ただ、その前に実家から電話があり、用事があるのでミーを見ていてほしとの事。到着した私は暗い部屋の中からミーを探し、いつもの押入れの中の布団の上に横になっているのを見つけました。

私の娘はもう目も見えないみたい・・・二人だけの静かな時間が流れる中で必死に身体を動かそうとしている・・・そして私の腕に顔を乗せてきた時に、ようやく私は気付きました。私のために必死に生きていてくれた事に・・・そのまま泣き崩れる私をミーは昔のままずっと見ていてくれたような気がしました。

 

16日の夜にミーが亡くなった事を知らされました。綺麗な顔に戻っていて、まるで眠っているようでした。

この日の夜は全く眠れず次の日はいつもより朝早く出勤しました。

会社に一番乗りで到着して門をあけて車を止めたら、工場と工場の間から、今までに見たこともないくらい綺麗な虹が見えました。12月の雨も降っていないこの虹は、きっとミーからの贈り物だと今もそう信じています。

ミーは私の中でずっと生き続けています。

☆そして今はアスニャンと一緒に楽しく暮らしています☆

 

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アスニャン冬より

(アスニャン、ミーとの出会い)